2024年12月に肺炎で亡くなられた、読売新聞取締役主筆の渡辺恒雄さん。
報道界だけでなく、スポーツ界や政治でも幅広く活躍されました。
そんな渡辺恒雄さんは、生前に親友は中曾根康弘元総理だと話しています。
そのエピソードについてまとめてみました。
渡辺恒雄さんの家族構成や息子・孫についての記事はこちら
渡辺恒雄と中曾根康弘の出会い
渡辺恒雄さんは、30歳前後のヒラの記者だったころに、中曾根康弘さんに出会います。
以降、“以降、何かあれば必ず電話で報告し、プライバシーなく付き合ってきた。”と話されています。
渡辺恒雄と中曾根康弘さんは、周囲が飲みに周る中、週に1度土曜日に3時間の読書会をすることで交流を深めました。
哲学書や経済学書などを読んでは、議論や理解を互いに深めていったそうです。
中曾根康弘死去時
中曾根康弘元総理が101歳で死去した際は、渡辺恒雄さんは非常に落ち込んだと言います。
中曽根氏の逝去は、私にとっては親の死と同様のショックです。
とのコメントを発表していました。
また、
私にとって彼以上に敬愛した人物はいない。
とも語っています。
非常に読書家で勉強家の中曾根康弘元総理。
渡辺恒雄さんは、会うたびに政治や読書の話を重ね、家族以上の親交を深めてきたようです。
中曾根康弘元総理に墓碑銘を書いてもらう
渡辺恒雄さんは、自身の父が亡くなった際に建てた墓の横に、思い切って自分の墓を生前に建てています。
その墓石に掘る碑銘を、中曾根康弘元総理に依頼したところ、快く引き受けてもらい、3日後にはこのようなものが届いたそうです。
渡辺恒雄さんは、生前に建てた墓にこの文字を基にした碑銘を掘られたそうです。
まとめ
98歳で亡くなられた渡辺恒雄さん。
非常に密な関係で親交が深かった中曾根康弘元総理は101歳で亡くなっています。
中曾根康弘元総理にならい、あと3年は生きたいと話していた渡辺恒雄さん。
まだまだ現役で主筆としての役割を担っていたなかでのご逝去が非常に残念です。
歴史に名を遺すお2人のエピソード、とても素敵でした。