東京女子医大の前理事長を務められた岩本絹子さん。
産婦人科として開業医をされていた岩本絹子さんは、2019年に突如、東京女子医大学の理事長に就任。
わずか3年で赤字から黒字に経営転換させました。
なぜ、理事長の座を手に入れることができたのか、噂されている吉岡一族との関係を調べてみました。
岩本絹子wikiプロフィール
氏名 | 岩本絹子(いわもときぬこ) |
出身 | 佐賀県唐津市 |
生年月日 | 1947年6月27日 |
出身 | 東京女子医科大学 |
職業 | 産婦人科医 |
経歴 | 1973年 東京女子医科大学 産婦人科入局 1979年 葛西中央病院 産婦人科部長 1981年 葛西産婦人科 開業・院長就任 |
岩本絹子さんは、1981年に葛西産婦人科を開業し、長らく院長を務めてこられました。
40年以上の歴史を持つ産婦人科で、親子二代にわたり出産される方もおられるとのこと。
岩本絹子と吉岡一族との関係
開業医として長く地域医療に貢献してきた岩本絹子さん。
なぜ突然、東京女子医科大学の理事長に就任されたのでしょうか。
これには、大学の創業者一族との関わりが噂されています…!
吉岡一族とは
岩本絹子さんと合わせてネットでよく検索されている「吉岡一族」。
実は、東京女子医科大学は、大学創立者吉岡弥生さんの一族が、代々経営を担っているのです。
同大学では2014年、入院患者の2歳男児に鎮静剤プロポフォールを過剰に投与して死なせる医療事故が発生。
当時の理事長、吉岡俊正さんは創業者吉岡弥生さんの夫・吉岡荒太さんの3番目の弟の孫という情報があります。
その時、岩本絹子さんは副理事長に就任していました。
医療事故で大学の信頼が大きく揺らぐ中でも、2人は辞任を固辞。
国からの様々な勧告を受ける中、半ば強行して学長選を開催したと言います。
当時、大学同窓会組織「至誠会」の会長も務めていた岩本絹子さん。
「至誠会」は東京女子医科大学付属病院の経営に強い影響力を持っています。
吉岡家の学長の座を守るべく至誠会会長の力を使い、無事、吉岡俊正さんが学長の座を射止めたと言います。
あらゆる権力を使い、吉岡一族の大学経営を死守したのですね!
岩本絹子は創業者の大姪
それでは、岩本絹子さんは吉岡一族とはどのような関係にあるのでしょうか。
岩本絹子さんは、創業者・岩本弥生さんの大姪にあたる。
という情報が見つかりました。
岩本弥生さんの夫・吉岡荒太さんの2番目の弟の孫が、岩本絹子さんということです。
岩本絹子さんと、前理事長・吉岡俊正さんは、祖父がそれぞれ創業者夫の兄弟。
つまり、2人は「はとこ同士」ということになります。
副理事長に就いて経営再建を主導した岩本絹子さんは、ついに2019年理事長に就任します。
産婦人科の開業医であった岩本絹子さん。
強力な親族関係により、大学理事長に就任したのですね!
しかし、東京女子医科大学では、その後、度重なる不祥事が発生。
2024年に、岩本絹子さんは理事長を退任されています。
岩本絹子の家族構成
岩本絹子さんは現在独身で子供もいないとの情報です。
ご両親はどのような職業についておられたのでしょうか。
岩本絹子の母も医者
岩本絹子さんの母は、同じく産婦人科医をされていました。
医師の家計が代々と続いていて、母も産婦人科医でした。
引用:江戸川区時間
幼少期から周囲に医師がおり、また母もそうであったことから医師を目指されたのでしょうね。
また、岩本絹子さんは吉岡一族でありながら、苗字が「吉岡」ではありません。
これは、おそらく母の旧姓が「吉岡」だったのではないでしょうか。
結婚により「岩本姓」となったため、娘の絹子さんも「岩本絹子」であると思われます。
岩本絹子さんの母親が、大学創業者・吉岡弥生さんの姪であった可能性が高いですね。
岩本絹子の父の職業
岩本絹子さんの父親の職業は明らかになっていません。
しかし、幼少期から父は岩本絹子さんに「医師か弁護士になってほしい」と話されていたそう。
個人的なイメージですが、代々医師がつづく家系では、結婚相手も医師か弁護士が多いイメージです。
医師であた岩本絹子さんの母が選んだ結婚相手も、医師か弁護士であった可能性が高いと考えられます。
父親の願い通り、医師の道を選ばれたのですね!
まとめ
産婦人科医として長く、地域の出産や女性の健康に貢献してこられた岩本絹子さん。
一転して、大学経営者となったのは、創業者の親戚であったからであることが分かりました。
吉岡一族と岩本絹子さんとの関係、前理事長とのはとこ同士であることなど、興味深いですね。
2024年に経営体制が一新された東京女子医科大学のこれからの動きが気になります。
岩本絹子さんの姪が元タカラジェンヌで親族企業との癒着問題についての記事もあわせてお読みください。